リネンクロスは、毎日を彩る小さなときめき
暮らしの中で「これはお気に入り!」と思えるものをひとつずつ増やしていくと、毎日の楽しさが少しずつ積み上がっていくような気がします。私にとってのリネンクロスも、そのひとつ。
刺繍の布を手に取ると、「よし、これで今日も気分よくいこう」って思えてくる。そんなふうに、「好き」が背中を押してくれる気がします。
リネンクロスが私の暮らしに登場した最初は、かごのカバー。これはもう、ごく自然な使い方でした。
"もったいない"の壁を越えて
次にそれをお弁当包みとして使うには、ちょっと迷いもあって。汚れてしまうかもしれないし、なんだかもったいない気もして。
でもやっぱり、幼稚園に持っていく子どものお弁当には、自分の作ったものを使ってあげたいなと思ったんです。実際に使ってみると、刺繍のリネンクロスを使うためらいよりも、“包む楽しさ”の方がじわじわと大きくなってきて。
娘たちが小学生になってしばらくした頃には、
「いっそ、家族みんなの分も揃えて包みたい!」
「おじいちゃん、おばあちゃんまでみんなの分を揃えてしまうママになりたい」
と、気持ちが加速していました。
いざやってみたら、これがもう最高に楽しくて。
中に包んだお弁当には何の変わりもないのに、一つ一つのお弁当を手刺繍のリネンクロスで包むだけで(私の中では)どんどんお弁当の価値まで上がるようで。
もうこれは、正真正銘の自己満足の世界。でも、それでいいと思えるほど楽しかったんです。
お弁当作りは、私の晴れ舞台
結果、それに包むお弁当もいいものにしたいと思い、運動会のためのお弁当には、事前の仕込みを数日に分けて取り組むほどになりました。
あまりに楽しくて、母に電話してお弁当の話を熱弁したところ、「それ、もうお節やん」と笑われたりして。
そういえば、私はお節はまだ全てを作らず、ローストビーフだけをどちらもの実家に持っていく分を作り、それぞれの家の味を楽しむ立場でした。
私の母は、お節を作るのがごく自然なこと、当たり前のこととして暮らしていました(今もそうです)。だから私も、きっとそうなるんだと思っていたけれど、いざ自分が子育てと仕事を両立する中では、それがなかなかできなくて。
作り方は分かるし、レシピも知ってる。でも、年末年始の慌ただしさの中で、それを実行に移す時間も余裕もなくて、どこか心のどこかで「ちゃんとやりたいのに、できていない自分」を見ていた気がします。
丁寧な暮らしに憧れるのに、なかなかそれを叶えられない。そんなもどかしさを抱えた私にとって、秋の運動会のお弁当は、その気持ちを消化するのにちょうどよかったのかもしれません。
両方の実家にお世話になっている分、お節ではなくお弁当で、秋に少しだけでも恩返しがしたい。そんな気持ちもあったように思います。
私が一から段取りして詰めたお弁当を、両家の親に食べてもらう。もちろん夫にも、娘たちにも。これは私にとって、ちょっとした晴れ舞台のようなものでした。
ふだんは仕事としての刺繍ばかりを考えていて、家のことを後回しにしてしまうことも多い私だからこそ、「この日だけは、“お母さん”としての顔で一日を過ごせたら、という気持ちもありました。
刺繍のリネンクロスも、作家としてではなく「ママ」としての私が作ったものでした。私のリネンクロスは、お弁当への気持ちを目に見える形にしてくれるものとなりました。
「私の家らしい恒例のお弁当」みたいなものを実現したくて、それがリネンクロスで叶ったような気もします。これこそ、夫や娘たちの記憶に残る「我が家のお弁当」のスタイルなのだと思っています。
さて、少しずつ作りためたリネンクロスは、年々増えて6枚になり、「あと2枚作れば、家族全員分が刺繍のリネンクロスで揃う」と思っていたところで、コロナ禍に入りました。
当たり前にまたあると思っていた「みんなの運動会」は、何の前触れもなく消えてしまい、私が8つのお弁当を並べる日も、あっけなく奪われてしまいました。
準備していた気持ちの行き場がなくなって、少しだけ、悔いが残ることとなりました。
あれから5年。今はその思いを、高2になった次女(テニス部でがんばっています)のお弁当作りに静かにぶつけています。
これが、わたしの丁寧な暮らし
“もったいない”の壁を越えて使ってみたとき、そこには新しい刺繍の楽しみがありました。
みんなのいう「丁寧な暮らし」じゃないかもしれないけれど、
私にとっては、これこそが「刺繍のある楽しい暮らし」です。
あなたの暮らしにも刺繍を取り入れてみませんか?
はじめてさんも、ブランクのある方も、大歓迎です。