はじめに

恒例、子どもが寝たら刺繍時間。
連載第3回です。今回は3〜4分と少し長めになっています。
(第1回 / 第2回)
刺繍の半衿
「これ、絶対に売れる。うちのお店で売らせて。手刺繍の半衿なんて、みんな喉から手が出るほど欲しがるよ」
吉澤先生がくださった言葉の一言一句を、私は今でも鮮明に覚えています。
着付けに何度か通い、お茶やランチをご一緒するようになった頃のことでした。
センスの人、吉澤暁子先生

この頃、特に気に入っていた綿の着物と帯のコーデ
吉澤先生は、その美しさや着こなしだけでなく、着付けの教え方も理論的かつ実践的で、他の先生に習ったことがなくても「この方は特別な先生だ」と感じる存在でした。着物や小物のセレクトも洗練されていて、先生のセンスが素晴らしいのか、先生ご自身の美しさが際立たせているのか分からなくなるほどでした。
背中を押される

帯の内側にがま口を仕込むのが本当に便利。この頃から「暮らしで使えるものを作る」という考えでした。
当時の私は、販売実績のない自分の腕を信じきれませんでしたが、「吉澤先生の目利き」に対しては揺るぎない信頼がありました。だからこそ、このお声がけは大きく、初めてのことでも迷わずハンドメイド作家の道に足を踏み入れられたのです。
吉澤先生の課題

吉澤先生の企画された着物の集まりでの一枚。一番右は、若かった頃の私…。
大好きなものづくりで、かっこいい吉澤先生と仕事を通じて関われることは、大きな喜びでした。着付け師になられる前のお話や、着付けとは関係のない世間話を楽しむこともありましたが、仕事の話になるとつい盛り上がったものです。
そんな中で、先生がふと口にされた言葉が私の耳に残りました。梅田大丸のハンズカフェでランチをご一緒したときのことです。先生はこんなことを話してくれました。
「自分の仕事ばかりに目を向けて、先のことを考えずに走ってきたことを後悔している。今はその後悔を取り戻すように、一緒に進んでくれる仲間を育てている」
先生は、着物や着付けの仕事を始めてからはただただ走り続けてこられた方でした。けれど、ご自身のやりたいことも外から求められることも大きくなり、目指すことを叶えるには一人では追いつかない、と気づかれたのだと語っておられました。
ハンドメイドでつながったご縁

バラの模様のドリーミーな着物もお気に入り。
その頃、私も「着付け師としての勉強をしてみない?」と声をかけていただいたことがありました。けれど当時の私は、小さな子ども二人を育てながら趣味として手作りを楽しむだけの主婦で、「自分が何かになってしっかりと仕事をする」というイメージがまだ持てませんでした。それに着付けより踊りや手芸の方が楽しかったのです。その道には進みませんでしたが、そこでご縁が途切れることはなく、むしろ私の作るものに先生が目を向けてくださったことこそが、後の大きな転機につながっていきました。
未来への不思議な助言

次女ランはくるくるのくせっ毛ちゃん
そんなある日、いつものようにおしゃべりを楽しんでいたら、ふと、本当にふと先生が私にアドバイスをくださいました。
「いつか、この刺繍の仕事が育ってきたら、手遅れになる前に自分の後進を育てた方がいい。少し早いかなと思っても、先を信じて人を育てておくことが大切」
まだ教室を始めてもいない、着物小物をちょっと委託販売し始めただけの私です。先生のアドバイスは、当時の私には全くピントも合わず、なぜそれを言われたのかも理解できないものでした。正直にいえば、今になってもその理由はわからないままです。
先生の言葉は、とにかくそれくらい現実味のないものでした。だからこそ、不思議な余韻となって心に残り続けたのだと思います。
そこから数年。さまざまな出来事がつながり、私は「認定講座」を始めることになります。その道のりについては、この先の回で少しずつお話ししていけたらと思います。
いただいた機会、そのスタート

長女スミレの牛乳ひげ
ハンドメイドを趣味から仕事にするには、多くの人にとって「私にそんなことができるのだろうか」という迷いや壁があるように思います。実績も経験もゼロからのスタートですから、自分一人で決心をして踏み出すのは本当に難しいことです。そんな中で、私は信頼できる人に背中を押していただけたことが何より大きな支えとなりました。吉澤先生からいただいたこのご恩を忘れることなく、これからも自分の道を歩んでいきたいと思います。